紙幣からデジタルマネーへ、ケニアスラム発『地域通貨革命』は成し遂げられるか~<後編>若きエコノミストが直面する苦難と希望~

ケニア、そしてアフリカにおける地域通貨の最前線を伝える本記事。前編では地域通貨に向けられる大きな期待と現地取材で発見された意外な現実を中心に構成された。後編では、ケニア、そしてアフリカで初めて本格的な地域通貨プロジェクトを実行したアメリカ人エコノミスト、ウィル・ラディック氏のインタビューを基に、これまでのプロジェクトの経緯、そして地域通貨を巡るこれからの可能性を伝えたい。

若きエコノミストの素顔

ガティナでの取材後、筆者はウィル・ラディック氏と落ち合うこととなった。アフリカに地域通貨を持ち込んだ第一人者として世界各国のフォーラムや講演会に招待され、現在ではアフリカ各国で地域通貨プロジェクトの陣頭指揮を執っているなど、多忙な人物としても知られている。

ウィル氏と初めて会ったときの印象は、想像よりも若く、温和で知的というものだった。

「私が初めてケニアに来たのは2008年のことで、アメリカのピースコープス(アメリカ政府が提供するボランティア計画、米版青年海外協力隊ともいわれる)の一員としてこの地に足を踏み入れました。それまで物理学を学んでいたもののケニアに来たことをきっかけに開発経済学を学ぶようになり、それが今でも続いています」

グラスルーツエコノミクス創設者のウィル氏。アフリカにおける地域通貨のパイオニアでもある。

若き日のウィル氏にとって、ケニアで見たもの全てが新鮮で、毎日が興奮と驚きで溢れていた。モンバサ(インド洋沿岸にあるケニア第二の都市)にあるスラムに住み、活動を続けていく内に、ある想いが沸々と湧き上がってきたという。

「スラムで生活を続けていく内に、住民が何もせずにぶらぶらしていたり、活気がないことが気になりました。今でもナイロビとモンバサのスラムで活動していますが、そこで出会う人々が時間を無為に過ごしたりせず、何かをやり始められないかと考えています。その想いが今に続く挑戦の第一歩だったのかもしれません」

参加していたボランティアはスラムコミュニティの支援事業だった。事業に専念する中でふと、このプロジェクト資金を地域通貨のために使ってみてはどうかというアイデアを思い付いた。地域通貨によりコミュニティの活性化を促し、ビジネスや住民活動を一つの軸にまとめることで信用やネットワークを生み出していく。当時アフリカでは前例のない試みではあったが、目の前の現実を変えることができるかもしれない。ケニアのスラムから、その後世界が注目するプロジェクトの種が生まれた瞬間だった。

アイデアは思い付いたものの、実行に移すには準備が必要だった。ウィル氏はボランティア終了後、アメリカの企業や地域通貨関連の団体に就職し、アイデアを実践するための基盤づくりを始めた。時には東京で顕微鏡のエンジニアとして働きながらもその努力は続けられ、資金集めからプロジェクトの始動までには数年がかりとなった。

通貨偽造の疑いで逮捕!?中央銀行との攻防と苦難

ウィル氏がケニアで初めて本格的な地域通貨プロジェクトを開始したのは2013年のことだった。モンバサのバングラデシュスラムで「バングラペサ」を発行し、住民を巻き込んだプロジェクトを展開しようとしたが、それは同時に現在でも継続している政府や中央銀行との衝突が始まることを意味していた。

バングラペサの発行のため印刷所に行ったとき、印刷の最中に地元の警官が立ち入り、作業を一時中断せざるを得ない事態に陥った。その場はウィル氏の説明により警官が引き上げたが、その後より重大な事件が発生する。

バングラペサの事例が大手国内紙で報道された朝だった。その記事ではウィル氏の地域通貨プロジェクトを大々的に取り上げており、地域通貨の存在が国内で広く知れ渡るきっかけとなった。ウィル氏の電話が鳴り、グラスルーツエコノミクスのボランティアが普及のためスラムに行こうとしていたところ、治安維持機関の職員が事務所に立ち入り、強引に取り調べを行い始めたという報せが入った。ウィル氏はすぐさま現場に駆け付けて事態の収拾を図ったが、結局ウィル氏を含む5名の職員が警察所に連行されてしまう。後から聞いた話では、分離独立運動が活発なモンバサでは、地域通貨がその動きに拍車をかけるのではと危惧する役人や政治家がいるのではという噂が流れていたという。地域通貨のコンセプトを説明し誤解を解くため、ウィル氏は警察署に行き、プレゼンを始めた。

「地元の弁護士やモンバサ州知事から訴えられかねないという話になってしまったから、パワーポイントを使って地域通貨のコンセプトをプレゼンしました。我ながら良いプレゼンでしたよ。でも、中央銀行の職員という人間が私のパソコンを証拠品だといって取り上げてしまったんです!これが通貨偽造の何よりの証拠だ、とね。一体何の証拠だと言うのやら。それでパスポートを取り上げられて刑務所に叩き込まれた、という訳です」

あれよれよと事態は奇妙な方向へ動き出し、二日後にウィル氏は法廷に立たされていた。裁判では通貨偽造の疑いで懲役7年間が求刑されたが、ウィル氏も5000ドルを払って弁護士を雇って控訴した。カツカツの中でNGOを運営しなければならない状況で手痛い出費だった。

「あれは全くもってオートマティックだった。つまり、あらかじめ決められたシナリオのようなものだったのさ。ひどい時間だったよ。パスポートを取り上げれているから、家族に会いに帰国もできなかったのが、辛かったですね」

ケニアのために地域通貨を始めたエコノミストが窮地(きゅうち)に陥っている。グラスルーツエコノミクスは中央銀行と司法長官を相手に粘り強い説明を続け、無実を証明するため地域通貨関係者の間で署名も募った。最終的に司法長官は違法性を見受けられないとして中央銀行に勧告し、ウィル氏は釈放され、地域通貨のための新しい制度を制定することになった。

なぜ一度は刑務所に入れられながらも現在までプロジェクトを続けてきたのか。ウィル氏は筆者からの質問に次のように答えた。

「これが本当に楽しい挑戦だからです。もしマネーサプライ(通貨供給量)を増やせば、その分取引の量も増えて、経済を活性化できます。問題は誰がどのようにお金を得るかということですが、地域通貨は地域内で循環するお金で、住民が得をすることになります。これが素晴らしいプロジェクトだと確信していますよ」

地域通貨革命のためのアイデア

ウィル氏が文字通り体を張って守り抜いた地域通貨プロジェクトは、現在ケニア国内で7つのコミュニティで継続し、拡大を続けている。紆余曲折あった地域通貨プロジェクトの現状を、ウィル氏はどのように分析しているのだろうか。ウィル氏に弊社のガティナ取材結果を伝えたところ、次のような意見が返ってきた。

「依然として利用者はとても少ないと思いますが、それが現状でしょう。ガティナ事務所の前で野菜を売っている女性に聞いたところ一日で十人から二十人ほどが利用していると聞きましたが、限られた住民しか利用していないとも思います。マーケティング、住民への説明、会員勧誘、足りないことは多くあります」

現状に問題があることを認めつつ、ウィル氏はこうも続けた。

「地域通貨においてボトルネックは印刷コストです。しかし、デジタル化によってこのコストを大幅に抑えることができます。通貨システムのデジタル化にも費用は掛かりますが、印刷コストほどではありません。また、規模の拡大が簡単にできます」

地域通貨はこれまで紙幣を印刷することが一般的だったが、グラスルーツエコノミクスではそれをデジタル化、つまり携帯電話で取引できるモバイルマネーへと変換する試みに挑戦している。大量の紙幣発行コストに加え、運搬や管理コストなども大幅に低下することが見込めるこのアイデアは、まさに地域通貨におけるイノベーションとなり得るものだ。ケニアではモバイルマネーとして有名なM-PESAが全国的に普及しており、『モバイル版地域通貨』が受け入れられる環境は十分にあるといっていい。

さらに、グラスルーツエコノミクスは7つある地域通貨をSarafu-Creditとして一つに統合し、新たな経済圏を創り出そうとしている。これは、それまでスラムなど各地域で独自に使用されていた地域通貨という垣根を取り払い、一つの統合通貨にまとめる試みである。もし実現したならば、地域通貨を受け入れているモンバサやナイロビにあるスラムではどこでも地域通貨を使用できるようになる。さらには受け入れ地域が増加すれば、ケニアのどのスラムや貧困街でも統合した地域通貨を使用できるようになり、加入者を増加させてより日常的に地域通貨を使用する環境づくりを実現できる可能性がある。

「M-PESAは偉業を成し遂げました。彼らは通貨循環を大きく促し、取引に革命を起こしました。私たちは地域通貨にもそれが可能だと思っています。地域通貨はまさに革命を起こし得るものです。経済全体を変える可能性がある。地域コミュニティが独自でレジリエンス(強靭性、この場合は自律性)を得ることができて、将来は新たな税制度も整えられるでしょう。私達は地域通貨プロジェクトをコンゴ、マリ、ウガンダ等、様々なアフリカの国々で展開しています。もしプロジェクトのパッケージ化に成功すれば、より多くの地域に広めることができるでしょう」

ウィル氏と友人のエコノミスト達。ケニア経済の議論が止まらない。

スラムから生まれる新たなイノベーションの可能性

現状において、ウィル氏とグラスルーツエコノミクスの挑戦が成功しているとはいえない。しかし、地域通貨のデジタルマネー化と統合化というアイデアは現状の問題を解決し、スラム経済・社会に革命を起こす可能性がある。そして、ケニアで生まれた『地域通貨革命』のパッケージ化が成功した場合、それはアフリカ全土に広がるだろう。

未だ普及しているとは言えない地域通貨の現状、それに立ち向かう若きエコノミストの挑戦に今後も注目していきたい。

筆者:長谷川 将士