車上の宣教師は何を祈るか

ケニアで最も市民が使う公共交通機関はおそらくマタツ(スワヒリ語で乗り合いバス)だろう。中古車でさえ庶民の手に入りにくいケニアでは、マタツは生活に欠かすことのできない移動手段だ。

マタツでは時折、宣教師が車上に乗り込み、神の教えを広め、寄付を募っている。彼ら宣教師は混雑している車内の端から端を歩き、大声で説話を行うため疎んじられることも少なくないし、寄付をねだられるのも面倒だ。

時に邪魔者として扱われる彼らは何を思い、何を祈っているのだろうか。6年ほど『車上の宣教師』をしているロバート・オウィノに話を聞いた。

「元々はジョゴーロード沿いにあるジュアカリ(インフォーマルセクターの手工業者)のお店で働いています。キベラスラムに住んでいて、教会付属の高校に通っていました。

宣教師として活動しているのはもちろんお金が目的ではありません。まあ、少額の寄付をお願いするときはありますがね。聖書が伝えているでしょう、『求めよ、さすれば与えられん』と。乗客の皆さんからはあまり良い反応をもらえませんし、時には盗人呼ばわりされる時もあります。私達が求める少しの寄付は、乗客の皆さんからすればちょっとではない金額の場合もあるので。

朝の五時から夜の10時まで説話を行い、大体一日で600シリングほどの寄付をいただています」

マタツの社内で説話を行う ロバート・オウィノ。

エリック・ルマシアは元々マタツの運転手をしていたが、退職後はフルタイムで車上の宣教師となり、かれこれ10年ほどが経った。コロゴチョスラムに居を構えており、この前36歳になったばかりだ。

「私がやっているのは他のどの仕事とも同じようなことだよ。唯一違うことは、私は神の言葉を伝えてお金を得る、それくらいかね。乗客がよく文句を言うけど、まあ悪いことじゃあない。彼らは私が聖書の教えを伝えるというサービスへの対価として寄付をしてくれる訳だからね。一日で800シリングから1300シリングをいただいているよ」

エリックは一時期教会で演奏者として活動していたが、次第に説法を行い、人々にキリストの教えを布教することに関心が移ったという。布教活動を行う彼は批判を受けるときもあるが、エリックは「何人も誰かの信仰を変えることはできない」と答える。

元々マタツの運転手をしていたエリック・ルマシア

ベルナルド・オウンドは2000年に教会で洗礼を受けてから、19年間宣教師として活動している。ナイロビ発の長距離バスで地方へ出発するまでの待ち時間に説話を行い、一日1000から1300シリングの寄付を集めている。

「私が説話を行っているときにバスが出発してしまい、見知らぬ土地に独りぼっちになってしまうこともありますね。私が説話を行うことはお金のためだという人はいます。ただ、信じてほしい。私を駆り立てるものは神の言葉を分かち合うこと、それは癒しの力です。車内では爆音を響かせて音楽を流しますし、そのため私の説話がかき消されてしまうときもあります。しかし、キリストの教えが私を導いてくれるでしょう」

長年の宣教師を活動を続けている ベルナルド・オウンド。

今回の取材では様々な宣教師たちに話を聞いたが、彼らが説話を行う理由はそれぞれ大きく違っていた。宣教師として確かな経験と背景を持つ者もいれば、そうでないものもいる。説話は収入を得る手段という者もいれば、神の教えを広めることがモチベーションだという者もいる。

一つ確かなことは、寄付という名の収入が彼らの生活を支え、その金額はかなり大きいということだ。月給15,000シリングの求人に多数の人々が群がるナイロビでは、寄付で集められる金額は一般市民がそれなりの生活を送るには十分なものだ。マタツがナイロビ市民に欠かせない足であるように、車上の宣教師にとってマタツは生活を支える収入源となっている。

神の教えは確かに彼らの生活を豊かなものにしているようだ。ただし、キリストが望んだ形とは少し形が違うかもしれない、が。

筆者: Mohammed nyarigu

翻訳: 長谷川 将士

生活

Posted by HasegawaMasashi